北海道の地震に遭遇したので、その教訓や改善点について考えてみました。

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 こんにちわ、ほづみゆうきです。2018年9月の深夜に起こった北海道の地震にたまたま遭遇しましたので、この経験について本日は書きます。
 今回、わたしはたまたま妻の出張の付き添い(というか、子どもの世話係)として1泊2日で北海道に行くことになり、宿泊しているところで被災しました。その後、予約していた飛行機は運休になったものの、幸いにして別のルートを探し出して、次の日に帰宅することができました。地震直後から北海道脱出までの流れについて、あくまで個人の経験なのでどこまで役に立つのか分かりませんが、記録として残しておいても良いだろうと思いましたので書いてみるに至りました。実際起こったことの記録の他、各時点における「教訓」として言えそうなこと、ホテルや交通機関に対しての「改善点」は枠外に整理しておくこととします。

地震発生直後

 激しい揺れは突然訪れました。時間は深夜3時過ぎ。これまで経験したことのない下から突き上げるような大きな揺れを感じ、目が覚めました(わたしは東日本大震災未経験)。幸いにしてホテルですので倒れてくるような背の高い家具はなく、対応としては万一に備えてベッドの布団に包まる程度でした。揺れが収まってスマホでニュースを確認すると札幌市内で「震度5」という表示が並んでいます。まだこの時点では大きな地震があったのでびっくりした、という程度でした。東京でも震度3程度であればよくある話で、そのときと同じような感じです。余震を恐れつつもまた布団の中で横になっていました。
 本格的にヤバいと感じたのは停電したことに気付いたときです。恥ずかしながら、最初の時点では停電に気付きませんでした。地震発生から数十分程度経ってから、急に部屋のライトが明るくなりました。深夜で、かつ寝ていたので電気は点けていません。最初はホテル側が安全のために強制的に灯りを付けたのだろうなどと悠長に考えていたのですが、これが実際には通常灯から非常灯への切り替わりだったのです。気付いたのはそこからしばらく経った後、点けていたはずの空気清浄機の灯りが消えていたのを見つけてからでした。

教訓①:地震の直後の停電には敏感になるべし。

わたしは完全に見逃していましたが、地震の直後の停電には気をつけておくべきです。停電に気付くのが早ければ、その分だけ次のアクション(食料や水の確保、帰宅ルートの調査など)に移りやすくなります。

ホテルの初動対応

 これまで経験したことがないことであり、かつ深夜であったことから支配人クラスの方もいなかったのでしょう、ホテルの初動対応は色々と混乱しているように見えました。最初のアナウンスはどういうわけか、全員ホテルのロビーに集まってほしい、というもの。特に、どういう目的かも示されることもなく。スタッフが周回するということで、わざわざ外に出る理屈もよく分からなかったことから、わたしたちはスタッフが来るまで部屋の中に止まることにしました。しかしながら、結局その後ずっとスタッフが来ることはありませんでした。

 以下はそのときの映像。ホテルそばの歩道に宿泊者が出てきています。

 なお、アナウンスは日本語、英語、中国語で行われており、この点は素晴らしいと思いました。チェックインする際のロビーでざっと見た感じでも国際色豊かだったためです。後述しますが「停電時に客室のトイレは使えません」という、とてもマニュアルが用意されているとは思えない内容も3カ国語で放送していたので、堪能な方がスタッフとして配属されていたのだと思われます。

改善点①(ホテル):アナウンスには理由も加えた上で行っていただきたい。

 緊急時ということで焦っているという事情は分かりますが、何か指示をする場合には何を目的として行おうとしているのかについて説明してほしいものです。今思えば、余震で建物の中に閉じ込められることを危惧してということだったのかもしれませんが、それを言っていただかないとこちらも動きにくいです。また、そうであるにしても外が必ず安心とも限りません(ホテル側が免責されるという意味では意味があるのでしょうが)。また、全員の宿泊者をロビーに集めるまで徹底されることもなかったことを考えると、確固たる信念があって行われたものでもないと思われます。

教訓②:ホテルの選択には、耐震基準も考慮に入れるべし。

 ホテルの築年数は宿泊場所を考える一つの要素として考慮に入れるべきでしょう。建物が倒壊する恐れがあるという理由で外に放り出されるとなると大変です。今回はたまたま夏の北海道だったので良いですが、冬だったら凍えてしまいます。旧耐震基準の建物(1981年5月31日以前に新築工事に着手した建物)という基準は一定の目安になります。この基準に合致する建物は耐震診断が義務化されているようですが*1、全てが耐震工事を済ませているわけでもないようなので、該当するものは選択しないというのが無難かもしれません。

食糧確保、水確保

 電気が止まったこと、そして復旧の見込みがないことを確認できたので、その次に行ったのは食料の確保でした。あまり素早い対応とは言えず、外に出たのは6時くらいだったかと思います。停電が分かってから既に2時間くらい経ってしまっています。震災前のスケジュールではどこかで美味しいモーニングを食べようと思っていましたので、当然手元に食料はありません。目指すはコンビニで、ホテル近辺をぶらぶらと歩いてみました。最初に見つけたファミリーマートは完全に閉鎖されて入れませんでした。さすがに手ぶらでは帰れないと思い、もう少し行動範囲を広げて歩いていると今度はセブンイレブンを発見、こちらは営業していることが確認できました。
 停電時にも商品を提供してもらえるというのは本当にありがたいものです。おにぎりの類いはすでに売り切れてましたが、わたしが行ったタイミングでも弁当やパンは一部、飲み物やお菓子は大量にまだ残っていました。なお、セブンイレブンは非常用電源を持っているようで、レジは通常通り使うことができ、電子マネーも使えました。
 ここでの一つの失敗は、電子レンジ使用が前提のチルド系の弁当を選択してしまったこと。具体的には、チルドのカレーと中華丼。「電子レンジで必ず温めてお召し上がりください。」と書いてあるのはもちろん認識してますが、それなりに食べられるだろうと思っていました。しかし、米の食感がもそもそというかぼそぼそというか、非常に残念な味わいでした。電子レンジがあればもちろん美味しいのでしょうが、非常時にはオススメできません。なお、これ以外に購入した焼きサバのほぐし身の入った弁当は冷めても非常に美味しかったので、全ての弁当が駄目ということではないのでご注意を。チルド系の弁当のみが駄目で、それを示す表記が「電子レンジで必ず温めてお召し上がりください。」なのだろうと思います。
 結構たくさん商品が残っていたので、むしろ気にしたのは「あまり買いすぎないようにしよう」という点でした。商品の供給網が早々に復旧するとは思えず、あまり自分が買い占めてしまえば当然他の人に商品が行き渡らないということになります。この時点では、家族3人(大人2人、子ども1人)で1日分食べられる程度を目安に買い込みました。その後の計画が予想通りに行ったので結果的にちょうど良かったものの、うまく行かない場合も想定してもう少し買っておくべきだったかもしれません。自宅近辺での被災であればそれなりにストックもありますので急いで買い込むことは必要ないでしょうが、旅先での被災だと本当に何もない状態なので難しいところです。

 食料については、自分自身で確保したものとは別に、ホテルにも提供していただきました。電気が使えませんので通常通りというわけではありませんでしたが、火を使わないで良いパンとフルーツを数種類の朝食が振る舞われました。朝食を注文しているか否かを問わず全ての宿泊者が対象で、朝食を注文していた方はキャッシュバックという大盤振る舞い。

 食糧確保と並行して行ったのは水の確保です。とりあえず手元にあったペットボトルには水道の水を詰め、部屋のユニットバスには水を張りました。停電が長引くと水の供給がストップするということを熊本地震の被災者から聞いていたためです。

教訓③:停電したらまずは食料確保。ただし、他人にも行き渡るよう抑制を。

  停電が起こると飲食店やコンビニ・スーパーはまともに営業できなくなります。その結果、食料が不足することになります。事前に用意しておくのが最善ですが、旅先ではそういうわけにも行きません。となれば、まず行うべきは先手必勝での食料確保です。確保の量は状況にもよりますがは最悪のシナリオを想定しておきましょう。わたしは1日分買いましたが、ギリギリでした。とはいえ、商品が潤沢にあるわけではないので、他人への配慮も考えましょう。

 また、「電子レンジで必ず温めてお召し上がりください。」の「必ず」は信じましょう。 きっと後悔します。

教訓④:停電したら、水を張るべし。

 これは停電したらやるべきアクションとして有名でしょうが、貯められるところに水を貯めましょう。飲料用としてはもちろん、トイレや身体を拭く用途にも使えます。このときにペットボトルに貯めた水はその後のフェリー乗り場まで持っていって、我々の喉を潤してくれました。

トイレ問題

 停電が始まってから困ったのはトイレです。電気が止まっても通常トイレは止まらないはずなのですが、それが流れないのです。というか、レバーがないのです。フロントに連絡したら、レバーがあるから探してみてくれの一点張り。しかし探してもやはりないのでフロントに連絡すると見に来るとのこと。そこから部屋とフロントを数回往復して確認した結果は「部屋のトイレにレバーはありません」。電動でしか動かないので、電気が止まれば使えませんということでした。
 そのやり取りの直後に館内放送があり、客室のトイレは使えないこと、食堂などのある共通フロアのトイレのみレバーがあるタイプなのでそれを利用するべきことについてのアナウンスがありました。どうも、スタッフの方々が通常使っているトイレと宿泊者のトイレでは形状が異なっていてこのようなすれ違いが起こったようです。

改善点②(ホテル):分からないことは適当に答えないでほしい。

 自信のないことはしっかり確認した上で正確なことを伝えてほしいところです。今回の件は、たまたま対応した方1人が知らないというわけではなく、少なくとも数名の関与があったにもかかわらず正確な情報はなく、最終的には直接調べに来るということになりました。中にはアルバイトの方もいるでしょうし、全てのことに精通しておいて欲しいというところまでは望みませんが、自信を持てないものについては勝手な思い込みを伝えるのではなく、事実確認をした上で回答していただきたいものです。

北海道脱出ルートを探す

 当日予定した飛行機の欠航連絡が来たのは6時半過ぎ。そして、そこから次にどうするかを検討しました。北海道に残るか?東京の自宅に帰るか?帰ることができるに越したことはありませんが、すでに元々予定していた便は欠航が決まっているので、どのように帰るかを最初から考える必要があります。そして、同じような状況の人は山のようにいますので、この帰宅難民たちと争奪戦になることは間違いありません。残るとしても、残るための場所を確保しなければなりません。泊まっていたホテルは翌日は満席とのことで(朝に館内放送で伝えられた)、同じホテルに残るという選択肢は早々に断たれました。また、今回はすでに停電でもあったので、残る場合には食糧の確保も必要です。これらを色々と検討した結果、我が家では「帰る」方向で検討することにしました。主要な点としては以下の3点です。

1) 余震の危険性

 深夜に起こった地震が本震であるという確証がありません。2016年の熊本の地震では本震と思われた地震の後にさらに大きな地震があったことは記憶していました。となると、地震が起きた場所からはできる限り素早く脱出した方が良かろうと考えました。

2) 電力などのライフラインの復旧の見込み

 また、電力の復旧の見込みがなさそうだということも一つの理由です。電気がないことでトイレも動かず、食料の供給もおぼつかない状態です。そして、この状況が続くと水の供給まで途絶えてしまうことになります。旅先でこの状況に耐えるのは困難と考えました。

3) 東京に残した第2子の存在

 今回の出張には第1子のみ連れてきており、まだおっぱいを飲んでいる第2子は祖母に預けていました。当初予定の1泊2日であれば対応できるだけの母乳を準備していましたが、妻の帰宅が遅れれば尽きることは間違いありません。一応粉ミルクは用意していましたが、通常飲ませていないので順調に飲んでくれるとは限りません。これが決定的でした。


 少し調べると、飛行機は他の便も含めて全て欠航、JRも動いていないことが確認でき、可能性のある手段は船しかないことが分かりました。ただし、当然船に乗るためには船の出る港まで移動する必要があります。選択肢としては苫小牧と小樽。路線情報を見ると札幌から苫小牧の間には通行止めの箇所が複数あり、行き先は小樽に絞られました。小樽から出ている船は新日本海フェリーのもので、新潟行き。戻る場所は東京なので、新潟にまで着いてしまえば上越新幹線で帰ることができます。
 ここまで行き着いたのが8時過ぎ。この時点で新日本海フェリーのWebサイトに行くとまだいくつか座席が残っていました。そこから急いで会員登録して予約、クレジットカードでの決済まで一気に行いました。そして、無事予約完了。これが終わったのが8時半くらい。結果的には、この時点で予約が取れたというのが極めて大きかったです。というのも、電話での窓口の開店時間が9時だったためです。これらの予約作業が9時を過ぎていたら、電話での予約で埋まっていたかもしれません。
 ただし、気がかりだったのはこの時点でこの船がその日に本当に運行するのかどうかについては何の情報もなかった点です。飛行機やJRについては明示的に運休の連絡がありましたが、運行するともしないとも書いてありませんでした。これはその後も確認し続けたものの、結局小樽に着くまで分かりませんでした。

教訓④:残るか帰るかを早めに決断し、その後の対応を迅速に。

 旅先での被災の場合には、まず残るか帰るかを早めに決断するべきです。そして、方針を決めたらその方針のために必要となる予約作業を迅速に行うべきです。残る場合にはホテルの確保が最優先。ちなみに8時前の時点ですでに当日の札幌近隣のホテルは全て予約済になってしまっていました。また、食料も滞在日数分を用意する必要があります。帰る場合には自宅までの交通機関の確認と予約。タクシーを利用するのであれば道路状況も確認する必要があります。

 迅速な対応のためには、インターネットの活用が不可欠です。非常時だからこそ直接電話で会話して予約したいという思いは十分に理解できますが、今回のフェリーのようにWeb予約ができるような場合、その分だけ競争に遅れてしまうことになります。また、電話では同時の処理に限界がありますので、繋がるまでに時間を要してしまいます。今回でも予約を取った後に本当に運行するのかどうかを何度も電話してみましたが、結局小樽に着くまで電話は繋がりませんでした。

 なお、被災地ではないところに相談できる人がいると、情報収集の速度はさらに上がります。わたしもFacebookで繋がっている方に脱出方法を相談して、自分たちで調べた結果と同じだったのでその選択に確信を持つことができました。

改善点③(交通機関):災害時の運行情報は、問題がない場合でも出してほしい。

 運行情報はWeb上に逐一情報を出してほしいものです。新日本海フェリーとしては通常通りの運行を行うのだから特に必要ないというスタンスだったのかもしれませんが、JRや飛行機が欠航している状況です。通常通り運行予定なのであれば、明示的に運行予定であることは前持って示していただきたかったです。Webサイトであれば更新に最低限のスキルと時間がかかるかもしれませんが、今ならばTwitterで公式アカウントを持つというやり方もあります。これならば基本的に誰でも更新可能でしょう。 

タクシーで小樽へ

 小樽から新潟へのフェリーは予約できました。次はどうやって札幌市内から小樽に向かうかどうかです。レンタカーという選択肢も出ましたが、乗り捨て可能かどうかを調べるのが面倒であること、タクシーで行っても1万円程度でレンタカーとほぼ変わらないことから、タクシーを選択することにしました。札幌市の中心部では9時くらいでも結構タクシーが走っていました。一方で移動したい人たちも多かったので空車のタクシーを捕まえるのに多少時間はかかりましたが、ほどなく無事捕まえることができました。なお、停電中なので信号の灯りは全て消えており、けっこう危険な状態でした(ちなみにドライバーの方はインドに在住経験がある方で、「こんなのインドでは日常茶飯事だぜ!」と何度も言っててやたら頼もしかったです)。
 小樽までの道のりで目に付いたのは大型スーパーやドラッグストア前の行列です。これらの店舗が見えるたびに、数十人の行列ができていました。お目当てはもちろん食料品なのでしょう。停電がいつまで続くかわかりませんし、停電が続くようであれば水も止まる可能性があります。今のうちに必要なものを確保しておこうという気持ちはよく分かります。一方で、いざ震災が起きたときに確保しなくて済むよう、日々の食料品の備蓄は改めて考えておく必要があると感じました。ちなみに、その後テレビで見かけるような土砂崩れだったり、家が倒れているような場面を見ることはありませんでした(たまたま見逃していただけかもしれませんが)。

教訓⑤:災害後の調達は危険、事前の備えを充実させるべき。

 いざ震災などの自然災害が起こった後に食料などを確保しようとすると行列に巻き込まれて無駄に時間と体力を消耗する上、必要となる分量を確保できるかも不確かです。事前に何がどの程度必要なのかを想定しておいて、できる限り備えておくことが望ましいでしょう。 

小樽のフェリー乗り場にて

 小樽のフェリー乗り場に着いたのは10時半くらい。フェリーの出航時間は17時なのでけっこう時間に余裕はあったのですが、この時点ではまだ本当に運行されるのかも確証がなかったこと、また、どうせどこに行っても何もやってないだろうということで札幌市内から直行でした。当日分の食料を朝のうちに買い込んでいたことも奏功しました。悠長に昼ご飯の確保のためにどこかに立ち寄っていたら、またそこで時間をロスしていたことでしょう。
 フェリー乗り場に到着していきなり目の前の看板にあったのは「定刻出港予定です。」の文字。嬉しさのあまり、そして未だ情報が発信されていなかったこともあり、以下のようなツイートをしました。これで、後はフェリーの出発まで時間を潰せば北海道を脱出することができるのです。

  フェリー乗り場では、チケットの窓口だけが開いていました。この他にお土産もの屋、食堂も併設されていましたが営業中止。この乗り場では水を電動のポンプから汲んでいるとことで、トイレも基本使えないというのは地味に辛かったです(小のみ、貯めるだけの運用で可能でした)。
 朝の早い時間帯にフェリー乗り場に到着できたことのメリットは、待合室のソファを確保できたことです。時間が到着の時間に近付くにつれて、乗り場にはどんどん人が増えてきました。通常乗る予定だった人に加えて、キャンセル待ちの人たちもいるのだから当然です。そんな中で固い地べたでなくソファに座ってのんびり快適に待つことができました。もっとも、空調が効いていなかったので昼過ぎからは日射しが強かったこともあって建物内は暑いくらい。外に出た方がむしろ涼しいというのはさすが北海道、といった感じでした。

 こちらは小樽と新潟を結ぶフェリーのご尊顔。名称は、らべんだあ。

快適、新日本海フェリーらべんだあ

 フェリーに乗り込むことができたのは15時くらい。このときの感動をわたしはしばらく忘れないと思います。それまでおよそ1日電気が一切使えない状況でした。エアコンもありません。テレビもありません。スマホの充電もできません。トイレは水が流れません。お風呂にも入れません。温かい食事もありません。こんな状況から一転して、これら何でもありの環境に移ることができたのです。部屋に入ったらもうエアコンがガンガン効いていて寒いくらいです。テレビがあります。そして電源入ります。トイレもちゃんと水が流れます。大でも小でもオッケーです。お風呂なんて大浴場があります。露天まであります。そしてさらに食堂があって温かい食事を提供してくれます。売店も自販機もあって、お菓子や飲み物、アルコールも買うことができます。船の上は、これまでの1日が嘘だったかのような超快適空間だったのです。ありがとう、新日本海フェリー
 出発は17時だったのですが、実際に出発したのは17時半。なぜ遅れたのかは分からないのですが、現地まで到着できていない人がいる一方でキャンセル待ちの方は大量にいて、その調整に時間を要していたのではないかと思われます。
 それほど船に乗る経験はありませんでしたので、気がかりだったのは船酔いでした。しかし結果としてわたしは全然影響なし。前日あまり寝ていなかったこともあり爆睡、布団に入って気が付いたらもう朝でした。子どもも特にぐずることもなく安眠。妻だけは多少船酔いのような症状を訴えてましたが、吐くほどではありませんでした。なお、売店にはばっちり船酔いの薬も売っていましたので、気になる方はその場での購入も可能でした。

 客室はこんな感じでした。普通の旅館と遜色なし。そして、各部屋にお風呂トイレ完備。冷蔵庫あり。さらに、バルコニーのような感じで外に出て海も見られます。これからどこか旅に行くときの手段はフェリーでも良いなと思わせるくらいの快適さでした。

 こちらは夕暮れの海を見ながらのディナータイム。今までちょっとしたサバイバルをしていたことを考えるとギャップが凄まじいです。食堂は通常通りの営業で、お腹いっぱい温かい料理を食べることができました。本当にありがとう、新日本海フェリー

新潟港到着、その後東京へ

 フェリーが新潟に到着したのは翌日10時半頃。通常であれば9時過ぎには到着するらしいのですが、出発が30分遅れたことなどもあり、多少ずれ込みました。とは言ってもあまりにも快適な空間であり、全然そんなことは気になりませんでした。むしろ、のんびり朝風呂に入ることができて喜んだくらい。青い海を眺めながらの朝風呂というのは随分と贅沢な気分です。
 新潟港に到着すると、テレビの取材陣のような風貌の方が数名いて、インタビューをやっていました。我々は取材されなかったので詳細は不明ですが、このフェリーがおそらく北海道からの唯一の脱出の手段であったことから「被災地から命からがら引き揚げてきた人たち」という切り取られ方をするのではないかと思います。
 新潟港からはタクシーで新潟駅へ。そこからは当初の予定通り上越新幹線。フェリーの到着時間が不明瞭だったので予約はしなかったものの、予約が埋まっているということはありませんでした。駅ビルでお昼ご飯とお土産を調達し、12時過ぎの新幹線に乗り込みました。そこからは何のドラマも起こることなく、無事東京駅に到着することができ、自宅に帰り着くことができました。これで北海道からの脱出は完了です。

(おまけ)持っていて便利だったもの

 最後に、被災してから北海道を脱出するまでに便利だったものを書いておきます。

スマホ

 まずは何といってもスマホです。停電してもネット回線は生きていたことから、スマホが唯一の情報収集手段となりました。地震の震度や停電の状況、交通機関の運行状況など、調べる内容は多々ありました。これ以外にも非常用ライトとしても使えます。停電が起こったのは深夜で部屋のトイレが使えなかったことから、部屋とトイレの行き来にはスマホの灯りが役に立ちました。この他、電子書籍も入れていたのでフェリー乗り場での待合時間などでの良い気晴らしにもなりました。

外部バッテリー

 便利なスマホではありますが、そのネックはバッテリーです。当然使えば使うほどバッテリーは減っていくので、予備の外部バッテリーを用意しておく必要があります。たくさんの種類がありますが、わたしが持っていたのはAnkerのFusion5000というもの。 これは本当に便利なものなので、防災云々は抜きにしても買っておいた方が良いです。

 このバッテリーの優れている点は、充電器も兼ねていることです。いつも電源コンセントに充電器を刺してスマホを充電していると思いますが、その充電器の中にバッテリーが入っていると思ってもらえれば分かりやすいです。このメリットは、「常に充電されたバッテリーが手元にある」 ということです。いざバッテリーを持っていこうと思ったら充電されてなかった、ということはよくある話ですが、このバッテリーの場合はそれがありません。基本的に充電器と同じように扱うということで、電源コンセントに差しっぱなしだからです。今回の地震の際もわたしは通常の充電器と同じように使ってましたので、停電時にもフル充電の状態でした。

 デメリットも書いておきます。基本的に常に充電しっぱなしの状態で保管するので、バッテリーの劣化は早いと言われています。また、5000mAhという容量に対して、本体サイズは大きめです。充電器も兼ねているので仕方ないことかとは思いますが。

タブレット

 元々はわたしの読書のために持ってきたタブレット(iPad)ですが、こちらは子どもの気晴らしのために随分と活躍してもらいました。特に役に立ったのは序盤での被害状況の把握やフェリーの予約などを行っていたタイミング。親の方は脱出に向けて一分一秒を競って調べものをしているわけですが、そんなことは子どもには通用しません。とはいっても旅先のこと、おもちゃもなければ絵本もありません。そんな状況の中、タブレットを渡すことで動画を見たりゲームをやったりでしばらく関心を逸らすことができました。

 

 こうやって並べてみると、スマホなどの電子機器の生活に占める重要度が上がっていることを実感します。帰宅後にたまたま見た記事では、最近は難民の方たちも情報収集にスマホを活用しており、必需品になっているというものがありました*2。地図アプリで経路を確認したり、SNSアプリで故郷の家族と連絡を取ったりしているようです。このような変化を、図らずも実体験をもって理解することができました。

 なお、この変化の前提となっているのはネット回線です。今回の震災では停電後もネット回線は生きていました。これは携帯事業者が各基地局に予備電源を用意していることによるもので、数時間から24時間程度は持つように設計されているようです。わたしはドコモ回線を使ってサービス提供しているIIJmioを利用していて、結局フェリーで北海道を離れるまで特段問題なくインターネットを利用することができました(今回は停電が長引いたことによりその後一定期間切断されたこともあったようですが*3)。

教訓⑦:停電しても一定程度スマホのネット回線は利用可能、その前提で動く

 停電してもスマホ(とネット回線)は一定期間利用できます。災害を想定するのであれば、これを前提に準備をしておくべきでしょう。最大の問題はバッテリーなので、モバイルバッテリーは用意しておいた方が良いです。

最後に

 今回は、たまたま旅先である北海道の地震に遭遇することになったので、そこからの経験と教訓について整理してみました。自宅や職場での被災というのはそれなりに想定していて、非常食や災害用トイレなどを準備していたのですが、旅先での被災というのはこれまで考えたことがありませんでした。したがって、万事うまく行ったかというとそうでもないのですが、幸いにして多くの方の助力もあって無事ほぼ最短ルートで自宅に帰り着くことができました。今回の教訓を踏まえて、今後同様のことがあったらうまく立ち振る舞えるようにしたいと考えています。また、このわたしの経験が誰かの役に立つようであれば嬉しいです。

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