1年休職して、大学院に行くことにしました。 その経緯と今後について

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Illustration by Freepik Storyset

 どうもご無沙汰しております、ほづみゆうきです。最近めっきり活動量が減っておりましたが実は理由がありまして、大学院受験をしておりました。ありがたいことに合格の連絡をいただきまして、仕事を1年間休職して4月から大学院に行くことにしました。政策研究大学院大学のまちづくりプログラムというコースです。今回はその辺について、ざざっと経緯などについて書いてみます。 

元々の問題意識

 このブログでも過去に何度も書いてきたことで、前職の公務員の時代から今に至るまでわたしが課題意識を持ってきたものとして、どうすれば行政サービスにおいて住民の意向を踏まえて自律的な改善サイクルが定着できるのか、という問いがあります。

 

 営利企業では、サービスの利用者の声をヒアリングして、そこで得られた意見を反映してサービスを向上させるという営みは当たり前に行われています。しかし、行政サービスの場合にこういったことは稀です。すでにあるサービスを自主的に改めるということは基本的に行われず、一方の住民も面倒臭いと思いながらもそういうもんだと半ば諦めながら利用しているのが現状です。

 

 あまりに不便だったり問題があったりようなケースであれば、そういった声を集めることで政治家や社会起業家の人たちが先導して声を上げて、行政に対して改善を求めるという動きはあります。こういった動きはそれはそれで素晴らしいのですが、同時に感じざるを得ないのは、この個別のモグラ叩きをいつまで続けなければならないのかということです。なぜ、行政組織の中で自律的に既存の問題を発見し、解消していくプロセスを行政の運営の中に組み込むことはできないのかということを常々考えてきました。

これまでの変遷

行政評価

 もちろん関係者の中にもこの手の問題意識が世の中にまったくないわけではなくて、一つの動きは90年代後半から始まった行政評価の仕組み。この取組みは一部の自治体から始まりある種のブームとなり、2002年には「行政機関が行う政策の評価に関する法律」施行され、中央省庁でも評価を行われるようになりました。

 

 この取組は今も続いていて多くの機関で今も行われていますが、現実的にはほぼ機能しておらず単なる作文づくりになっており、余計な負担を掛けているだけというのが実態です*1。 

公共政策

 また、公共政策という学問について、教科書的な書籍をいくつか読んだりもしました。公共政策という学問の成り立ち自体が政治家の恣意的な判断をなくして合理的に最適な意思決定を自動化するといったようなところから来ていてとてもおもしろいのですが、実際には挫折の連続です。

 例として有名なのはアメリカで1960年代に導入されたのがPPBS(Planning Programming Budgeting System)という仕組み。施策に対してまず費用便益分析、つまり複数の選択肢の中でどれがもっとも費用対効果を検討した上で計画(Planning)、そしてその計画に基づいて必要な人員などのリソースと達成されるべき成果を設定(Programming)、これらに基づいて予算編成を行う(Budgeting)という壮大な実験。

 ただ、これは3年足らずで廃止となりました。指摘されていた問題点は行政の成果目標を定量化することの難しさ、各施策での優先度判定が困難、行政内部での意思決定プロセスのみに着目し政治的なプロセスは無視していた点などが挙げられています。

経済学的手法との出会い

 こんな調子であれこれ関係しそうな手法があれば眺めてみては落胆して、ということを繰り返していく中で見つけたのが政策を経済学の手法で定量的に分析するという手法でした。そのきっかけとなったのは「政策評価のための因果関係の見つけ方」という本。

  元々は自然科学の分野で因果関係を明らかにするために使われていたランダム化比較試験などの様々な手法を政策の分析にどのように活かせるのかについて海外の事例を踏まえ具体的に書かれています。ちなみに、ランダム化比較試験とはざっくり言うと、施策の対象とするグループと対象としないグループをランダムに割り当てて、両グループのその後を比較することで施策の効果を把握するようなもの。

 

 この本を読んで感じたのは、将来的にはこのような手法が当たり前になるのではないかという点でした。何であれ行政が「施策」を行うのであれば、それは何らかの社会的な問題を解決しようという「目的」があります。たとえば赤ちゃんが生まれたときに保健師などが自宅に来る新生児訪問という「施策」がありますが、これには赤ちゃんの健康チェックや親の育児に関する不安解消といった「目的」があります。重要なのは「目的」の方であって「施策」はあくまでそれを実現するための手段でしかありません。なので、本来的には様々な「施策」を検討した上で「目的」の達成のために本当に効果のあるものが選択されるべきです。

 

 この手の検証はこれまでの行政ではほとんど行われていませんでした。これは厳密な因果関係を明らかにする手法がそもそも存在せず、かつそれを行政のプロセスの中に組み入れることもできていないことが原因ですが、近年の実験的な手法の開発やテクノロジーの発達によって実現への難易度は過去よりも下がっています。EBPM(Evidence Based Policy Making、エビデンスに基づく政策立案)という言葉も最近ようやく普及してきているように、この方向性は(進む速度が速いか遅いかはあれ)今後も続くと思われ、このようなスキルを身につけたいと考えたのでした。

大学院の検討

 このような思いで学び直しの場所を探し始めたのが昨年の秋頃。その中で見つけたのが冒頭に挙げた政策研究大学院大学のまちづくりプログラム。「自治体行政と呼ばれる全ての分野を対象とした経済的分析手法の習得とその高度な政策的能力を涵養することを目標」として掲げており、その手法としてはこういうもの。

法と経済学の知見とともに、社会学、地域政策学、地域コミュニティ論、都市計画学、都市構造論等の知見をも駆使した多角的で学際的な分析手法を体系的・実践的に習得できる教育プログラムを提供する。特に、さまざまな施策の優劣を判断し必要性・根拠を説明するノウハウと予防法務を含めた実践的法技術等を教育することに留意している。

まちづくりプログラム | プログラム概要 | プログラムの目的 | 政策研究大学院大学

 過去の修士論文などを見ても、現在生じている問題に対して仮説をもとにミクロ経済学の手法を用いた分析を行うことで実態を理解し、それを今後の政策提言として提案するというきっちりした型があり、わたしが求めているものにかなり近いのではないかと思い志望するに至りました。

 

 正直、働きながら子育てしながらでの受験勉強はしんどいものがあり結局志望したのは(大学側へのリップサービスでもなんでもなく)ここ1つで、落ちたらどうしようという状況だったのですが幸いにして合格してました。

最後に

 ということで、4月からは休職して勉学に励むこととします。快く休職を許容してくれたフローレンスの皆様、家族に感謝です。学ぶ内容はできる限り定着するようにブログなどで発信していくことと、身につけたスキルはこれまでの中央区の行政に対する分析に役立てていけたらと考えております。 

 

*1:このあたりの考察については過去のブログで延々と書いてますのでお暇な方はどうぞ。

ninofku.hatenablog.com

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